ストア派に学ぶ「正しい」AIとの付き合い方
朝、目覚ましのアラームを止めると同時に、スマートフォンを手に取る。 そこから、怒涛の一日が始まります。
プッシュ通知で飛び込んでくるニュース速驚、友人からのメッセージ、SNSのタイムラインを埋め尽くす誰かの日常、そしてAIが「あなたへのおすすめ」として無限に差し出してくる記事や動画…
私たちは情報の海を優雅に泳いでいるつもりで、実は気づかぬうちに、その奔流に飲み込まれ、心と身体をすり減らしているのかもしれません。集中力は断片化され、判断力は鈍り、常に何かを見逃しているような、漠然とした焦燥感に駆られる。
私たちは情報を消費しているのでしょうか。 それとも、情報に魂を消費されているのでしょうか。
この現代特有の「魂の疲弊」を、心の平穏を何よりも重んじたストア派の哲学者たちが見たら、きっとこう言うでしょう。 「友よ、君が戦うべきは情報の洪水そのものではない。君自身の心のあり方だ」と。
あなたがコントロールできる、たった一つのこと
ストア派の知恵の出発点は、いつだって同じです。 それは、物事を「私たちにコントロールできること」と「できないこと」に、冷静に切り分けること。
このパワフルな思考のメスを、現代の「情報」という問題に当ててみましょう。
・コントロールできないこと インターネット上に、天文学的な量の情報が存在するという事実。 AIが、私たちの想像を超える速度で、新しいコンテンツを生成し続けるという現実。 他人がSNSで何を発信し、どんな意見を持つか。 世界のどこかで、今この瞬間にも、心をかき乱すような出来事が起きていること。
これらはすべて、私たちの力の及ばない「外部のこと」です。この流れを止めようと焦ったり、すべてを把握しようと躍起になったりするのは、嵐に向かって「止まれ」と叫ぶようなもの。無駄な努力であり、魂を疲弊させるだけです。
・コントロールできること では、この情報の嵐の中で、私たちにコントロールできることは何でしょう? それは、たった一つ。あなたの「心の使い方」です。
どの情報に、あなたの貴重な「注意」を向けるかという選択。 目にした情報を、どのように解釈し、「判断」するか。 情報をインプットする時間を、いつ、どれくらいに制限するかという「習慣」。 そして、その情報を元に、あなたがどう「行動」するか。
ストア派の教えは、情報の流れそのものを変えることではなく、それに対する「あなた自身の応答」を、理性の力でコントロールすることに、その核心があるのです。
AIは最強の「情報洪水発生装置」
この情報過多を、かつてないレベルにまで加速させているのがAIです。 特に、私たちの興味を学習し、次から次へとコンテンツを差し出すレコメンデーションエンジンは、巧妙な「情報洪水発生装置」と言えるでしょう。
それは、私たちの好みを熟知した、優秀な執事のようです。しかし、その執事は、私たちが満腹でも、健康に悪くても、ひたすら好物を運び続けます。その結果、私たちは栄養バランスの偏った「フィルターバブル」という心地よい牢獄に閉じ込められ、思考は偏り、視野は狭くなっていくのです。
ストア派に学ぶ、AI時代の「心の護身術」
では、このAIが作り出す情報の奔流の中で、私たちはどうすれば心の平穏、すなわちストア派の理想である「不動心(アパテイア)」を保つことができるのでしょうか。 ここに、明日から実践できる、いくつかの処方箋があります。
処方箋1:情報の「摂取時間」を定める 食事に時間があるように、情報に触れる時間も意識的に区切りましょう。例えば、「朝の15分と、夜の15分だけニュースとSNSをチェックする」と決める。それ以外の時間は、情報の流れから意識的に離れる「情報断食」の時間です。無目的にスマホをスクロールする習慣を断ち切るのです。
処方箋2:「これは、私の善き生に関わるか?」と自問する タイムラインを流れる情報の一つひとつに、反応する必要はありません。指を止め、心の中で問いかけてみてください。「この情報を知ることは、私がより善く、より穏やかに生きる上で、本当に関係があるだろうか?」と。ストア派の賢者マルクス・アウレリウスも、『自省録』の中で、無益な事柄から心を遠ざけるよう、繰り返し自らを戒めています。
処方箋3:AIを「執事」として使う。決して「主人」にしない AIに「おすすめ」されるがままに情報を受け取る受動的な姿勢から、こちらから明確な目的を持ってAIに質問し、情報を「取りに行く」能動的な姿勢へと切り替えましょう。AIは、あなたの問いに答える優秀な調査アシスタントですが、あなたの一日のアジェンダを決める「主人」ではありません。主導権は、常にあなたが握るのです。
処方箋4:「何もしない時間」をスケジュールに入れる 私たちは、隙間時間があると、すぐにスマートフォンで情報を埋めようとします。その習慣に抗い、意図的に「何もしない時間」を作りましょう。それは、通勤中にただ窓の外を眺める5分かもしれませんし、昼食後に公園のベンチで空を見上げる10分かもしれません。情報のインプットを止め、自分の内なる声に耳を傾けるその時間は、魂にとっての栄養補給となるはずです。
情報過多の時代における真の豊かさとは、どれだけ多くの情報を知っているか、ではありません。 それは、どれだけ多くの「どうでもいい情報」から自由でいられるか、という「心の静けさ」の中にあります。
AIがどれだけ進化しようとも、あなたの「注意」という、人生で最も有限で、最も神聖な資源を、何に、いつ、どのように使うかを最終的に決めるのは、あなた自身です。
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