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人間とAIを分けるものは何?AIと人間の違いを考える

詩を作り、作曲し、人間と対等に議論する。現代のAIの能力には、驚かされるばかりです。その知的な振る舞いを見ていると、ふと疑問が湧いてきます。

「いったい、人間とAIを分けるものとは何なのだろう?」

知性や言語能力だけでは、もはや人間ならではの特権とは言えなくなりつつあります。この根源的な問いに答えるヒントを、私たちは2300年以上前の古代ギリシャの哲学者、アリストテレスの言葉の中に見出すことができるかもしれません。

彼の残した有名な言葉、「人間はポリス的動物である」。 一見、現代とは関係なさそうに見えるこの言葉にこそ、AI時代における「人間らしさ」の本質を解き明かす鍵が隠されています。


「ポリス的動物」って、どういう意味?

まず、「ポリス的動物」という言葉を正しく理解するところから始めましょう。 「ポリス」とは、古代ギリシャの都市国家のことです。そして「ポリス的」というのは、単に「政治的」という意味ではありません。

アリストテレスにとって「ポリス」とは、人々がただ集まって住む場所(生存のため)ではなく、市民たちが互いに関わり合い、「より善く生きる」ことを目指す共同体のことでした。

もちろん、ミツバチやアリのように、他の動物も集団で生活します。では、人間の共同体(ポリス)は、ハチの巣やアリの巣と何が違うのでしょうか。アリストテレスは、その決定的な違いを「ロゴス(Logos)」という能力に見出しました。


哲学ヒント①:「善と悪」を語り合える唯一の動物

アリストテレスは、人間の持つ「ロゴス」と、他の動物が持つ「フォネー(声)」を明確に区別しました。

  • フォネー(声)
    • 犬や猫にもある、快(喜び)や苦(痛み)を表現するためのもの。「お腹が空いた」「そこは痛い」といった感覚を伝える能力です。
  • ロゴス(言葉と理性)
    • 人間だけが持つ、物事の道理を理解し、言葉で表現する能力。
    • ロゴスの最も重要な役割は、単に事実を伝えることではありません。「何がで、何がか」「何が正義で、何が不正義か」といった、価値について語り合うことです。

AIは、膨大なテキストデータを学習し、まるでロゴスを持っているかのように巧みに言葉を操ります。倫理的な問いについて、もっともらしい答えを生成することもできるでしょう。

しかし、AIはその「正義」という言葉の意味を、私たちと同じように理解しているでしょうか。AIの語る正義は、過去のデータから導き出された計算結果です。そこには、仲間との関係性の中で「これは許せない」「これを大切にしたい」と感じるような、身体を持った存在としての切実な実感は伴いません。


哲学ヒント②:「善く生きる」ための共同体(ポリス)

ロゴスを使って「善」や「正義」を語り合う能力は、何のためにあるのでしょうか。 それが、アリストテレスが語る「ポリス」の本質、つまり「善く生きる(エウダイモニア)」という目的に繋がります。

  • ただ「生きる」だけではない
    • ポリスの目的は、外敵から身を守ったり、食料を確保したりといった、単なる生存(生きること)だけではありません。
  • 「善く生きる」とは
    • 市民同士が対話し、協力し、時には対立しながら、「私たちの共同体にとっての幸福(エウダイモニア)とは何か」を探求し、実現していくこと。法律を作り、文化を育み、友情を築くといった活動すべてが、「善く生きる」ための実践なのです。

この観点からAIを見てみましょう。 AIは私たちの共同体(ポリス)の一員ではありません。AIには身体がなく、老いることも死ぬこともありません。家族や友人を持ち、次世代の幸福を願うこともありません。つまり、AIは私たちの「善く生きる」という共同プロジェクトに、当事者として参加しているわけではないのです。

AIは、人間が「善く生きる」ための非常に強力な道具にはなれます。しかし、AI自身が「善く生きること」を目的として、他のAIと社会を形成するわけではないのです。


まとめ:AIは「友」にはなれない?

アリストテレスの哲学をヒントに考えると、人間とAIを分ける決定的な違いが見えてきます。

それは、計算能力や言語能力といった個別のスキルではありません。 人間が、身体を持ち、他者と共に「ポリス」という共同体を作り、ロゴス(言葉と理性)を用いて「善とは何か、正義とは何か」を問い続けながら、「善く生きる」ことを目指す動物である、というその本質そのものです。

AIは、私たちに素晴らしい知識や便利な機能を提供してくれる、最高の相談相手やアシスタントになってくれるでしょう。

しかし、アリストテレスが考えたような、共に善を目指し、人生を分かち合う「」に、AIはなることができるでしょうか。

残念ながら、AIは私たちの世界について語ることはできても、私たちの世界を共に生きることはできません。そして、喜びや悲しみ、正義についての怒りや、未来への希望を分かち合いながら、不完全なままに「共に生きていく」ことができるのは人間だけです。

それこそが、AI時代に私たちが再発見するべき、かけがえのない「人間らしさ」なのかもしれません。