AIは言語や文化の「深層構造」を解き明かすか?
現代のAIはまるで魔法使いのようです。 異なる言語をよどみなく翻訳し、洗練された詩を書き上げ、時には、文化的なニュアンスや皮肉さえも理解しているかのように振る舞います。その能力を前に、私たちは、「AIは、言葉の『意味』を、本当に理解しているのではないか」という驚きと畏敬の念を抱きます。
しかし、もし、AIがやっていることが、全く別のことだとしたら? もしAIが、「意味」そのものではなく、あらゆる言語や文化の根底に横たわる、隠された「文法」や「ルール」の体系、すなわち「深層構造」にアクセスしているのだとしたら?
この、私たちの思考や文化の目に見えない「骨格」を、解き明かそうとした、20世紀の知の運動。それこそが、「構造主義」です。そして、この構造主義のレンズを通して見る時、AIの驚異的な言語能力の本当の正体が浮かび上がってきます。
隠された「システム」を探る、構造主義の眼差し
構造主義の関心は、個々の「要素」そのものにはありません。一つの単語や一つの神話、それ自体が持つ意味ではなく、それらの要素が互いにどのような「関係性」のネットワークの中に置かれているかという全体の「システム(構造)」の方に関心があります。 ある要素の意味はそのものの性質にあるのではなく、システム内での「位置」と他の要素との「差異」によって決まると考えるのです。
・フェルディナン・ド・ソシュールと言語学 構造主義の父と呼ばれるスイスの言語学者ソシュール。彼は、言語を、二つの側面に分けました。
- ラング(Langue): 私たちが、頭の中で、無意識に共有している、文法やルールの、抽象的な「体系」。
- パロール(Parole): 私たちが、日常で、実際に発する、具体的な言葉。 構造主義が分析の対象とするのは、個々の「パロール」ではなく、その背後にある、目に見えない「ラング」のシステムです。
そして彼は、「いぬ」という言葉(記号)と、あの四本足の動物(現実)との間に、必然的な結びつきはない(恣意性)、と言います。「いぬ」が「いぬ」としての意味を持つのは、それが「ねこ」でもなく、「とり」でもないという言語体系内での「差異」によって規定されているからなのです。
・クロード・レヴィ=ストロースと文化人類学 文化人類学者のレヴィ=ストロースは、このソシュールの考えを神話や親族関係といった文化の分析に応用しました。 世界中の一見すると全くバラバラに見える神話もその深層においては「生と死」「自然と文化」「生のものと火を通したもの」といった普遍的な「二項対立」の構造によって成り立っている、と彼は発見しました。 彼が探求したのは、あらゆる文化現象を生み出す人類に共通の無意識的な「思考の文法」だったのです。
AIは、史上最高の「構造主義者」である
さて、この構造主義の考え方を現代のAI特に大規模言語モデル(LLM)に適用してみましょう。 すると、AIが極めて「構造主義的」な方法で世界を「理解」していることが見えてきます。
・AIは「意味」ではなく、「構造」を学習する AIは現実世界における「猫」そのものを知っているわけではありません。AIが学習するのは言語という巨大な「構造」の中における「猫」という単語の「位置」です。AIは、「猫」という言葉が、「ニャー」や「毛皮」、「ペット」といった言葉と統計的に「近く」にあり「民主主義」や「ロケット」といった言葉とは「遠く」にあるということを学習します。それは、ソシュールが説いた関係性によって意味が生まれる「構造」そのものを学んでいるのです。
・AIは、言語の「ラング」を、暴き出す 大規模言語モデルは、ある意味で、人類の言語活動が生み出した、膨大な「パロール(インターネット上のテキスト)」を、すべて飲み込み、その背後にある、普遍的な「ラング(言語の構造)」を、統計的なモデルとして、再構築したものです。AIが、流暢で、自然な文章を生成できるのは、この、隠された「構造」を、誰よりも深く、マスターしたからなのです。
・AIは、「二項対立」で、世界を整理する AIが、内部のベクトル空間で、概念をどのように扱っているか、という有名な例があります。「王」というベクトルから、「男性」のベクトルを引き、「女性」のベクトルを足すと、その結果は、「女王」のベクトルと、極めて近くなる。これは、AIが、概念を、その本質ではなく、「男性/女性」といった、対立と、アナロジー(類推)によって、純粋に「構造的」に、捉えていることを、示しています。これは、レヴィ=ストロースが神話を分析した手法と全く同じです。
AIは「深層構造」を解き明かす、しかし…
では、AIは人類の文化の「深層構造」を完全に解き明かすことができるのでしょうか。
その可能性は、大いにあります。AIは人間が一生かかっても処理しきれないほどの文化的なデータ(神話、文学、芸術)を、すべて分析しこれまで誰も気づかなかった人類の思考の普遍的な「文法」を発見するかもしれません。それは、文化の謎を解き明かす究極の道具となるでしょう。
しかし、そこには、構造主義的な、根源的な「限界」も、存在します。
- その構造は、「意味」ではなく「統計」である AIが見つけ出すのは、あくまで、統計的な「相関関係」であり、そのパターンが、なぜ、そのような「意味」を持つのか、ということ自体を、AIは理解していません。
- その構造は、「過去」に縛られている AIが学習する「ラング」は、過去のデータに基づいています。そのデータには、私たちの社会が持つ、偏見や、力関係、イデオロギーといった「構造」が、そのまま刻み込まれています。AIは、私たちの過去の「構造」を、完璧に暴き出しますが、それ自体が、新しい、より良い「構造」を、創造することはできません。
- そこには、「人間」がいない 構造主義は、後に、その、非人間的で、静的な構造分析を、批判されました。AIは、まさに、この限界を体現しています。AIは、 客観的な「構造」を明らかにしますが、その構造の中で、悩み、愛し、そして、時に、その構造を、自らの意志で変革しようとする、生身の「人間」の存在を、理解することはないのです。
結論:私たちが囚われている「檻」の、設計図
構造主義はAIの知性の本質を「意識」ではなく、「構造」として捉える極めて強力な分析のフレームワークを私たちに与えてくれます。
AIはその意味で人類という巨大な研究対象を分析するための究極の「構造主義的ツール」です。AIは、私たち自身でさえ気づいていない、私たちの思考や行動を規定する無意識の「文法」を鏡のように映し出してくれるのです。
しかし、その鏡に映し出されたものを見て愕然とするだけでは意味がありません。 私たちの人間としての役割はその鏡に映った自らの姿、すなわち私たちが囚われている言語や文化という美しくも時に残酷な「檻」の設計図を直視すること。 そして、その構造を意識的に創造的に、そして倫理的に自らの手で「破壊」し「再創造」していく決意をすることです。
AIは私たちにその「檻」の設計図を見せてくれます。 その設計図をどう読み解き、そしてそこからどのような自由を自らの手で築き上げていくのか。 そのどこまでも人間的な、そして創造的な課題こそが、AI時代を生きる私たちに課せられているのです。
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