AIのブラックボックス問題とは何か?
あるAIが重要な判断を下します。金融機関のAIがあなたのローン申請を「却下」する。医療用のAIが画像診断からある病気の「可能性が高い」と結論づける。
私たちはそのAIに問います。「なぜそう判断したのか?」と。しかし返ってくるのは沈黙、あるいは人間には理解不能な何十億ものパラメータの羅列だけです。AIの「思考」の中心部は固く閉ざされた「ブラックボックス」であり、その合理的な根拠を私たちは知ることができません。
これはAI社会における信頼と説明責任の深刻な危機です。私たちは理由のわからない判断をどうやって信じればいいのでしょうか。
この問題に対し現在、「説明可能なAI(XAI)」といったブラックボックスの内部を技術的に「こじ開け」その因果関係を説明しようとする研究が進められています。それは非常に重要なアプローチです。
しかし現象学は、全く異なるそしてそれを補完するもう一つの道を私たちに示します。それは「箱を開けようとする」のではなく「箱の『外側』からその中身の『かたち』を正確に記述する」という驚くべきアプローチです。
問いの転換:「なぜ?」から「どのように?」へ
現象学がもたらす最も重要な視点の転換。それは問いの立て方そのものを変えることです。
- 従来の技術的アプローチが問うのは「なぜ?(Why?)」です。 「AIはなぜこの結論に至ったのか?」これはブラックボックスの「内部」で起きた因果関係の連鎖を説明しようとする試みです。
- 現象学的なアプローチが問うのは「どのように?(How?)」です。 「そもそもこのような『判断』という経験はどのようにして私たちの前に『現れて』くるのか?」これはAIの内部の仕組みではなく、入力されたデータと出力された答え、そしてその文脈全体を含んだ「判断という現象」そのものの「構造」を記述しようとする試みです。
そのために私たちはまず前回学んだ「カッコ入れ(エポケー)」を実践する必要があります。AIの判断が「正しいか間違っているか」という問いと「なぜそうなったのか」という性急な原因究明への欲求を一旦カッコに入れて保留するのです。そしてまっさらな目で「AIが判断する」という現象そのものを観察し始めるのです。
ブラックボックスを記述する、現象学的な調査ステップ
では具体的に現象学はこのブラックボックスにどうアプローチするのでしょうか。
- ステップ1:「入力の現象」を、記述する まずAIに与えられた「入力データ」を単なる情報の羅列としてではなく、一つの「現象」として豊かに記述します。「このAIにはどのような『世界』が与えられているのか?」と問うのです。それは過去の成功者たちの経歴書だけで構成された偏った世界でしょうか。それとも歴史的な不平等が刻み込まれた歪んだ統計データの世界でしょうか。私たちはAIの「生活世界」のその「手触り」や「色合い」を記述していきます。
- ステップ2:「出力の現象」を、記述する 次にAIが下した「判断」という出力もまた客観的な「事実」としてではなく、それが「どのように現れているか」という「現出の様態」として記述します。「その結論はどのような『態度』で提示されているか?」と問うのです。絶対的な確信に満ちた断定的な口調でしょうか。それとも確率的な慎重な言葉遣いでしょうか。共感的な言葉を伴っていますか、それとも冷たく非人格的な文章でしょうか。その「スタイル」もまた分析すべき重要な現象の一部です。
- ステップ3:「志向的な弧」を、解明する 現象学は私たちの意識が過去の経験と未来への期待を現在の知覚へと結びつける見えない「弧(Intentional Arc)」を描いていると考えます。このモデルをAIの分析に応用します。「AIの『過去(入力データ)』の構造とAIの『現在(出力された判断)』の構造はどのように結びついているのか?」入力と出力を現象として丁寧に記述していくことで、私たちはブラックボックスの内部を見ることなくそのAIが持つ独特の「思考のスタイル」や「判断の癖」を浮かび上がらせることができます。例えば「女性の名前が含まれる入力は常に『信頼スコアが低い』という出力と強く結びついている」という「弧」を発見できるかもしれません。私たちはその「なぜ」を直接見たわけではありません。しかしそのバイアスの「どのように」を明確に記述したのです。
- ステップ4:想像力の中で、現象を「自由に変更」してみる 現象学の重要なテクニックに「本質観取」のための「自由変更法」があります。ある現象の本質的な要素を見極めるために想像力の中でその構成要素を様々に変更してみるのです。これをAIの分析に応用します。「もし入力データの性別だけを変えたら出力はどう変わるか?」「地名に関するデータをすべて削除したら判断はどう変わるか?」と。このように入力をシステム的に変化させ出力の変化を観察することで、私たちはブラックボックスの「判断空間」の輪郭をマッピングしていくことができるのです。
結論:黒い箱から、「半透明」な箱へ
現象学的なアプローチはAIのブラックボックスを完全に「透明」にすることはできないかもしれません。その究極的な因果関係は永遠に謎のままであり続けるでしょう。
しかし現象学はその代わりに極めて強力なもう一つの可能性を私たちに与えてくれます。それはこじ開けようのない黒い箱を、その内部の構造がぼんやりと透けて見える「半透明」な箱へと変えることです。
AIにどのような「世界」が与えられそこからどのような「判断」が生まれてくるのか。そのプロセスを執拗なまでに丁寧に記述すること。それによって私たちはAIの「人格」や「思考の様式」、そしてそこに宿る根源的なバイアスを因果的な説明なしに理解することができるのです。
このアプローチは私たちとAIとの関係性を変容させます。私たちは謎のエンジンを前に途方に暮れる「技術者」であることをやめ、哲学的な厳密さをもってAIの振る-舞いを観察する「AI現象学者」となるのです。
AIのブラックボックス問題は一見すると技術的な挑戦です。しかし現象学はそれがいかに根源的な「哲学的」な問題であるかを私たちに教えてくれます。そしてその解決の糸口はより多くのデータやより高度な技術の中にだけあるのではない。
それは私たちが世界を、そして知性をより深くより注意深く「見る」ための新しい「見方」を獲得することの中にこそあるのです。
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