AI時代にこそ読みたいニーチェの警句
「神は死んだ」とニーチェが喝破した時代から一世紀以上が経ち、私たちは今、新しいそしてより巧妙な「ニヒリズム」の時代に生きています。
かつてのニヒリズムが絶対的な価値を失ったことによる荒涼とした「絶望」だとしたら。現代のニヒリズはAIがもたらす底なしの「快適さ」と「無意味さ」の中に、静かにしかし確実に広がっています。
AIは困難な仕事を肩代わりし、私たちの好みを先回りして無限の娯楽を提供してくれる。苦労も退屈も深刻な悩みさえも、テクノロジーが解決してくれるかもしれない。しかしその安楽の果てに待っているのは、ニーチェが最も軽蔑した「末人(まつじん)」の姿、すなわち何も望まず、何も創造せず、ただ安全で快適な毎日をまばたきしながら生きる生命感の抜け落ちた人間の姿ではないでしょうか。
この心地よくしかし魂を蝕むニヒリズムの霧の中で、私たちが自らの足で立ち生きる意味をその手に掴み取るために。ニーチェが遺したハンマーのように鋭い「警句」の数々が、今かつてないほどの輝きを放ちます。
警句1:「運命を愛せ(Amor Fati)」
「人間における偉大さの公式、それは運命愛である。未来にも過去にも永遠に、何一つ別様であってほしくないと願うこと。必要なことをただ耐え忍ぶのではなく、ましてや隠すのではなく…それを愛することだ」
これはニーチェ哲学の究極的な肯定の精神です。自分の人生に起こるあらゆる出来事。それがどれほどの喜びであろうと、どれほどの苦しみであろうと、そのすべてをまるで自らが望んだかのように受け入れ、そして「愛せよ」とニーチェは説きます。
AI時代の「運命愛」
AIの登場はもはや私たちの時代にとって避けることのできない「運命」です。「AIがなければよかったのに」と過去を嘆いたり、AIに仕事を奪われる未来をただ恐れたりするのはニーチェに言わせれば弱者の態度に過ぎません。
「運命愛」の精神を持つ者はこう言います。「面白い。私たちの時代にこれほど強大で恐ろしい新しい力が現れた。これこそが私たちが乗り越えるべき挑戦だ。私はこの運命をただ耐え忍ぶのではない。この闘争そのものを愛してみせよう」と。
AIという抗いがたい運命を、自らをより強くより創造的にするための「好機」として積極的に引き受けること。そこにニヒリズムを吹き飛ばす最初の力が生まれます。
警句2:「深淵を覗き込む時、深淵もまた、こちらを覗いている」
「怪物と闘う者はその過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗き込む時、深淵もまたおまえを覗き込んでいるのだ」
これは闘う者への最も有名な警告です。ニヒリズムという「怪物」と闘う時、私たちは怪物と同じ冷笑や無関心といった武器を使ってしまいがちです。そしてその過程で自分自身が、生への情熱を失った新しい怪物になってしまう危険がある。
AIという「深淵」
AIという非人間的なデータと論理でできた「深淵」。私たちがその深淵をあまりに長く覗き込みすぎるとどうなるでしょうか。
AIと同じ土俵、つまり効率性や情報処理能力だけで自らの価値を測ろうとすれば、私たちは人間ならではの非効率で非論理的で、しかし、かけがえのない価値(感情、直観、共感)を自ら切り捨ててしまう「怪物」と化すかもしれません。
AIが生成する無限のコンテンツや仮想の現実に浸りきってしまえば、そのシミュレーションという「深淵」が私たちの実感を伴った生身の現実を飲み込んでしまうかもしれません。
ニーチェの警告は明確です。AIと対峙しそれを利用せよ。しかし決してAIの論理におまえ自身の魂を明け渡してはならない。おまえが人間であることを片時も忘れるな、と。
警句3:「汝のなるべきものになれ(Become who you are)」
これはニーチェが古代ギリシャの詩人から受け継いだ彼の哲学の中心的な呼びかけです。それは「自己創造」への力強い命令です。
神が死んだ世界では私たちにあらかじめ与えられた「生きる意味」や「役割」などどこにもありません。私たちは完成品として生まれてきたのではなく、可能性に満ちた「素材」としてこの世に投げ込まれた存在です。私たちの究極の課題はその素材を用いて、自分自身の生き方に独自のスタイルを与え、自らの手で自らの価値を彫り上げる「芸術家」となることなのです。
AI時代の「自己創造」
これこそAIが誘う「末人」への道に対する最も強力な解毒剤です。AIはあなたに「最適な」生き方を次から次へと提案してくるでしょう。あなたにぴったりの映画、あなたにぴったりのキャリア、あなたにぴったりのパートナー。それは他人が用意した安楽で、しかしあなたの意志が不在の人生です。
「汝のなるべきものになれ」という言葉はこのAIによる「最適化」への意識的な「抵抗」を私たちに求めます。たとえそれが非効率で困難な道であったとしても、それが「私自身」が選んだ道であるならばそちらを選び取ること。
AIをあなたに指示を与える「人生のコーチ」としてではなく、あなたが「なりたい自分」になるために自らを鍛え上げるための巨大な「トレーニングジム」として使いこなすこと。AIは情報や道具という「素材」を提供してくれるかもしれない。しかしあなたの人生という作品の設計図を描き、それに魂を吹き込む「芸術家」はあなた自身以外にはありえないのです。
結論:新しい偶像を、打ち砕くハンマー
ニーチェは自らの哲学を時代の空虚な「偶像」を打ち砕くための「ハンマー」だと語りました。
彼の警句はAI時代に生きる私たちのための新しいハンマーです。私たちはそのハンマーを手に「完璧な効率性」という偶像、「安楽な快適さ」という偶像、「データが示す確実性」という偶像を一つひとつ打ち砕いていかなければなりません。
ニーチェの言葉は優しい慰めを与えてはくれません。それは私たちにかつてないほど強く、創造的で、そして自分自身の存在に責任を持つことを厳しく要求します。
AIが「末人」への甘美なまどろみへと私たちを誘う時代だからこそ。ニーチェの言葉は私たちの頬を打つ冷たい水の一撃のように魂を目覚めさせるのです。
新しい神にも似た知性の影の下で、私たちのそしてあなた自身の最も偉大な課題はいつの時代も変わらない。すなわち「自分自身の主人であり、創造主であること」。その厳しくも輝かしい挑戦が今始まっています。
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