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一旦「カッコに入れる」- 現象学的還元でAIの”判断”のバイアスを暴く

2025年7月10日

AIがある人物を「信用リスクが高い」と判断した。AIがある候補者を「この職務に不適格だ」と判断した。

私たちはAIが下すこうした「判断」を前にした時、二つの反応に分かれがちです。一つは「AIの判断は客観的でデータに基づいているのだから正しいに違いない」とそれを信じ込むこと。もう一つは「その判断は差別的で間違っている!」とその結論に対して感情的に反発すること。

しかしどちらの反応も、AIの「判断」そのものをあたかもそれが世界の「客観的な事実」であるかのように扱ってしまっています。

もしその判断の「正しさ」や「間違い」を一旦横に置いておき、AIが「なぜそのように判断するに至ったのか」、その「意識の構造」そのものを手術のように精密に分析する方法があるとしたら?

このラディカルな思考の転換こそ20世紀初頭の哲学者フッサールが創始した「現象学」の核心です。彼のスローガンは「事象そのものへ!」。あらゆる先入観や理論を取り払い、私たちの経験がどのように成り立っているのかをありのままに記述しようとする壮大な試みでした。そしてそのために彼が発明した唯一無二の道具が「現象学的還元」、通称「エポケー(判断停止)」あるいは「カッコ入れ」と呼ばれる思考法です。

世界を、一旦「カッコに入れる」とは?

私たちは普段、当たり前のように自分とは独立した「客観的な世界」がそこにただ存在していると信じて生きています。目の前の机は私が見ていようがいまいが、そこにただある。この素朴で疑いのない日常的な態度のことをフッサールは「自然的態度」と呼びました。

現象学的還元、すなわち「カッコ入れ」とはこの「自然的態度」を意識的に「一時停止」することです。それは「世界は存在しない」と疑うことではありません。そうではなく「世界が本当に存在するかどうか」という問いへの判断を一旦カッコの中に入れて保留するのです。

なぜそんな奇妙なことをするのでしょうか。世界が存在するかという問いをカッコに入れることで、私たちは初めて自分の「意識」そのものに注意を向けることができるからです。

「机がそこにある」という客観的事実への関心を止め、「私の意識に机がどのように現れているのか」という主観的な「経験の構造」へと焦点をシフトさせる。映画に没頭している状態(自然的態度)から一歩引いて、「この映画はどのようなカメラワークや編集によって私にこの感動という『経験』を与えているのだろうか」とその「仕組み」自体を分析する態度へ。これこそが「カッコ入れ」の本質なのです。

AIの「判断」を、現象学的に「カッコに入れる」

さてこの強力な分析ツールをAIが下す「判断」に適用してみましょう。AIの判断に潜むバイアスを暴くための全く新しいアプローチが見えてきます。

あるAIが採用選考で一人の候補者を「不採用」と判断したとします。

  • ステップ1:AIの判断の「正しさ」を、カッコに入れる まず私たちは「この不採用という判断は本当に正しかったのか?」という問いを一旦カッコに入れて保留します。その候補者が本当に職務に不適格だったかどうかは今は問いません。
  • ステップ2:「判断の構造」そのものに、焦点を当てる 次に私たちはAIの「意識」の内側へと分析のメスを入れていきます。そして現象学的な問いを立て始めるのです。 「この『不採用』という判断(現象)は、どのような『データ(AIにとっての感覚経験)』に基づいて、成り立っているのか?」 「そのデータを、AIは、どのような『アルゴリズ(AIにとっての認識のメガネ)』を通して、解釈しているのか?」 「AIの『意識』には、どのような『前提』や『思い込み(バイアス)』が、あらかじめ、組み込まれているのか?」 「このAIにとっての『世界(学習データ全体)』は、そもそも、どのような偏りを持って、構成されているのか?」
  • ステップ3:バイアスの「発生源」を、突き止める この現象学的な分析を通して私たちは驚くべき事実に気づくかもしれません。例えばこのAIの学習データが、過去その会社が採用してきた男性中心の従業員のデータに基づいていたとします。するとAIは「評価の高い経歴書には『リーダーシップ』『競争力』といった男性的な言葉が多く含まれる」という「隠れたルール」を自ら学習してしまいます。AIはこの候補者を性別によって意図的に差別したのではありません。AIはただ自らに与えられた「偏った世界(学習データ)」をその「認識のメガネ(アルゴリズム)」を通して忠実に「認識」した結果として、「この候補者は評価の高いパターンに合致しない」と「判断」したに過ぎないのです。私たちはもはやAIの「結論」の正しさを不毛に議論しているのではありません。私たちはその結論がどのような「意識の構造」から必然的に生まれてきたのか、その「発生のメカニズム」そのものを白日の下に晒しているのです。

結論:「AIが何を言うか」から、「AIはどう見るか」へ

現象学の「カッコ入れ」は、私たちをAIの言葉尻に一喜一憂する堂々巡りの議論から解放してくれます。

それは私たちにAIの「心の考古学者」となることを可能にします。AIが示す自信に満ちた判断のその表層を掘り下げ、その判断を成り立たせている土台となっているバイアスや前提の「地層」を暴き出すことができるのです。

これこそがAI時代の真の情報リテラシーです。それはAIの答えをファクトチェックすることだけではありません。それはAIの「意識の構造」、あるいはそのシミュレーションの構造を深く理解することなのです。

AIの判断が私たちの現実をますます強く形成していく未来において。フッサールが叫んだ「一旦、カッコに入れよ!」という呼びかけはかつてないほど緊急性を帯びています。

AIが世界について何を語るか。それを受け入れるか拒絶するかその前に。私たちはまずAI自身の「世界」がどのように作られているのかを批判的に検証しなければならないのです。最も重要な真実はAIの答えの中にではなく、AIがそもそも「どのように世界を見ているのか」というその偏った視線を私たちが暴き出すその瞬間にこそ見出されるのです。