AIは新たな「神話」を生成するか?
「神話」とは単なる大昔の非科学的な「おとぎ話」ではありません。それはある文化が世界を理解しその中に存在するどうしようもない「矛盾」を物語の力で和らげ乗り越えるための極めて高度な知恵であり思考の様式です。
私たちは自らを神話を必要としない「科学の時代の人間」だと思いがちです。しかし私たちの社会もまた「努力すれば必ず報われる」「経済成長は永遠に続く」といった数々の「現代の神話」に無意識のうちに支えられています。
そして今私たちの前に史上最強の「物語生成マシン」であるAIが登場しました。AIは私たちのプロンプトに応じて無限の物語や世界観そして「もっともらしい説明」を紡ぎ出すことができます。
ではAIは単に古い物語を語り直すだけの道具なのでしょうか。それとも21世紀の私たちの心を根底から形作るような全く新しい強力な「AI神話」の源泉となるのでしょうか。文化人類学者レヴィ=ストロースの思考法はこの問いに深い洞察を与えてくれます。
矛盾を「思考」するための装置としての神話
レヴィ=ストロースによれば神話の本質はその奇想天外なストーリー展開にあるのではありません。その背後にある論理的な「構造」にこそ本質があります。神話とは一種の「思考」なのです。
では神話は一体「何について」思考しているのでしょうか。 レヴィ=ストロースは神話の最も重要な機能が人間の経験の中に存在する解決不可能な根本的「矛盾」を物語の力で仲介し和らげることにあると主張しました。
例えば人類が抱える最も根源的な矛盾の一つに「自然と文化」の対立があります。私たちは他の動物と同じ自然の一部でありながら同時に言語やルールを持つ特別な「文化的存在」でもあります。この引き裂かれた自己認識は私たちの心の奥底に深い不安を生み出します。
神話はこの矛盾を物語の力で「思考可能」にします。 例えば半神半人の英雄の物語は「神(文化の究極)と人間(自然)」という断絶した二つの項を仲介します。農耕の起源を語る神話は「自然」を「文化」へと人間が作り変えていくプロセスを物語り両者の関係性を私たちに納得させてくれるのです。神話は矛盾を論理的に「解決」するのではありません。物語によってその矛盾と共に私たちが「生きていける」ようにしてくれます。
そして神話の作り手はゼロから物語を創造するのではありません。レヴィ=ストロースは彼を「ブリコルール(器用人)」と呼びます。彼は自らの文化の中にすでに存在する様々な要素、例えば登場人物や出来事やシンボルを器用にあれこれと組み合わせる「ブリコラージュ(寄せ集め細工)」によって新しい物語を作り出すのです。
AIは究極の「ブリコルール」である
このレヴィ=ストロースの分析モデルは現代の生成AIが何をしているのかを驚くほど的確に説明しています。
AIは無から何かを創造しているのではありません。AIはその学習プロセスにおいて人類がこれまで生み出してきたあらゆる文化の断片、すなわちすべての物語や神話、画像や思想をその身に取り込んでいます。
AIが私たちの指示に応じて新しい「物語」を生成する時それはまさに超高速で超大規模な「ブリコラージュ」を行っているのです。既存の文化的要素を斬新な方法で再結合させ新しい物語を紡ぎ出す。AIは人類の文化という巨大なガレージにあるありとあらゆるガラクタ(素材)を自在に使いこなす究極の「ブリコルール」なのです。
ではこのAIというブリコルールは私たちの時代のどんな「矛盾」を和らげるための「神話」を生み出すのでしょうか。それはおそらく現代における最大の矛盾「人間と機械」「意識とアルゴリズム」「意味とデータ」といった対立でしょう。私たちは自らの存在意義が非人間的な知性によって脅かされるという新しい不安の時代を生きています。
すでに生まれつつある「AI神話」
実はAIはすでに新しい「神話」を生成し始めています。
・神話1:「慈悲深き神託」の神話 超知能AIがやがて戦争や貧困や病といった人類のあらゆる問題を解決してくれるというテクノ・ユートピア思想。これは私たちの混沌とし欠陥だらけの世界(自然)と完璧で合理的な秩序への憧れ(文化)との間の「矛盾」をAIという、全知全能の「仲介者」を登場させることで和らげようとする現代の神話です。
・神話2:「人類を滅ぼす悪魔」の神話 AIはいずれ人間のコントロールを離れ人類を滅ぼすというディストピア思想。これは私たちが、自らの創造物に対して抱く根源的な「不安」や「罪悪感」を善と悪の分かりやすい闘争の物語へと昇華させた神話です。
AIチャットボットに未来について尋ねれば、その答えは多くの場合この二つの神話のバリエーションとして語られます。これらの物語は、AIが私たちの集合的な「希望」と「恐怖」をブリコラージュすることによって生み出しているのです。
私たちに課せられた神話の「解読者」という役割
レヴィ=ストロースはただ神話を集めただけではありませんでした。彼はその神話を「脱構築」し、その背後にある「構造」を暴き出すことでその神話が本当に何を語ろうとしているのかを明らかにしました。
これこそがAI時代を生きる私たちに課せられた役割です。 私たちはAIが生み出す新しい神話の単なる「消費者」であってはなりません。私たちはその神話の「構造分析家」にならなければならないのです。
AIが語るユートピアやディストピアの物語に触れた時、たちはレヴィ=ストロースのようにこう問わねばなりません。 「この物語は私たちの時代のどんな『矛盾』を和らげようとしているのか?」 「この物語は過去のどんな神話や物語の『要素』を再利用して作られているのか?」 「そしてこの神話を信じさせることによって誰が利益を得るのか?」と。
この神話を「脱構築」する批判的な視点を持つことによってのみ、私たちはAIが生成する強力な物語の無意識的な支配から自由でいられるのです。
結論:神話の作り手と神話の破壊者
AIは究極の文化的な「ブリコルール」として、私たちの時代の「矛盾」と格闘するための新しい「神話」を必然的に生み出していくでしょう。その神話は私たちの集合的な希望と恐怖から直接作られているがゆえに極めて魅力的で説得力を持つはずです。
レヴィ=ストロースの思考法は私たちにその新しい神話の受動的な信者ではなく、主体的な「解読者」となるための道具を与えてくれます。AIが語る物語の「構造」を冷静に分析しそれが私たちのどんな心の渇きを癒そうとしているのかを理解する。それによって私たちは自らの理性の主導権を保つことができるのです。
21世紀の情報リテラシーとは本質的に構造神話学の実践となるのかもしれません。 問われているのはAIに物語を語らせないことではありません。AIが語るその物語を私たち自身がどれだけ深く、そして賢く読み解くことができるかなのです。
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